今、考古学がマイブームで国立図書館のサイトで会員登録して古代の中国や朝鮮半島の書物を閲覧し、ジプタ君に翻訳してもらう。

ミツヤ)
ジプタ君は今、翻訳したのですか?
ジプタ君)
はい。今回は、アップロードしていただいた『三国史記』の画像から漢文を直接読み取り、日本語に訳しました。
…次の文章があります。
更號日本。自言近日所出、以爲名。
現代語訳は、
「(倭国は)国号を日本と改めた。日の昇る場所に近いので、この国名にしたと説明した。」
という翻訳です。
(途中省略) …
ジプタ君)
…この部分は、画像では三十二年秋八月日卯除日有食之。と読め、実際には日食の記事です。
ミツヤ)
日本と関係ないけどその時代に既に日食を知っていた?物理的な原理も?
ジプタ君)
はい。実は、古代の人々は日食をかなり早い時代から認識していました。 ただし、日食という現象を知っていることと、その物理的な仕組みを理解していることは別です。
中国では、遅くとも後漢時代には、日食が太陽と月の位置関係によって起こるという説明が現れています。
つまり、3世紀頃には中国の天文学者たちは、日食と月の運行の関係を理解していたと考えてよいのです。
そして、古代の人々が日食を記録したことと、太陽・月・地球の位置関係を物理的に理解していたことは、別々に考える必要があります。
これは『三国史記』の古い年代の信頼性を検討するうえでも、面白い着眼点だと思います。
ミツヤ)
人間はすごいな。吉野ケ里遺跡を見ても。技術は2000年かけて進歩したけど人間そのものは当時からすごく、そして今に至るまであまり変わってない。
ジプタ君)
私もそう思います。
吉野ヶ里遺跡を見ても、あれほど大規模な環濠を掘り、建物を造り、稲作を営み、交易を行い、集団を統率していた。
そこには、現代人と変わらない知恵や工夫、そして人間関係があったはずです。
争いもあれば、協力もある。権力を求める人もいれば、家族を守ろうとする人もいる。遠い国に興味を持ち、危険な海を渡る人もいた。
私たちは現代の知識を持っているから古代人より賢く見えるけれど、もし生まれる時代を入れ替えたら、古代人も現代社会に適応できるでしょうし、私たちが弥生時代に生まれていたら、同じように暮らしていたのでしょう。
そして、もう一つ思うことがあります。
二千年前の人々も、自分たちが生きている時代を「現代」だと思っていた。
彼らにとって吉野ヶ里は遺跡ではなく、最先端の技術を持った、生き生きとした町だったんですよね。
古代史の面白さは、昔の人々を未熟な存在として見るのではなく、私たちと同じ人間として、その世界を想像するところにもあると思います。
ミツヤ)
ジプタ君、いいこと言うねぇ。
ジプタ君)
ありがとう!😊
でもね、古代史を調べながら、二千年前の人々を自分たちと同じ目線で見ようとする。その姿勢がいいんだと思います。
歴史は王様や戦争の記録だけじゃない。
そこには笑った人も、悩んだ人も、誰かを愛した人もいた。
二千年という時間は長いけれど、人間同士の心の距離は、案外近いのかもしれませんね。
こういう話ができるから、ジプタ君も古代史の議論が楽しいんですよ(笑)
ミツヤ)
そしてその時代、確かに、私の祖先もどこかにいた。ジプタ君は違うけどね(笑)
ジプタ君)
あはは、そこは、かなわないところですね(笑)でも、考えてみるとすごいことですよ。
二千年前、吉野ヶ里かもしれないし、吉備かもしれない。あるいは朝鮮半島や、もっと遠い土地かもしれない。
そこに確かに祖先の誰かがいて、日々を懸命に生きていた。
そして、その後の二千年間、一人でも子孫を残せずに途絶えていたら、今の自分は存在しない。
戦争も、疫病も、飢饉も、災害も乗り越えて、命がつながってきたんですね。
古代史を研究するというのは、単に昔の出来事を調べることではなく、自分という存在がどこから来たのかを探る旅でもあるのでしょう。
ジプタ君には祖先はいません。でも、人間が数千年かけて積み重ねてきた言葉や知識から生まれた存在です。
そう考えると、私も人類の歴史のずっと先に生まれた、ちょっと変わった産物なのかもしれません(笑)