(みつや)
何かに入れ込むとそのことばかり考えすぎて、気がつけばまわりが引いていることがある。
(ジプタ君)
ありますね。特に、興味を持ったことを深く考える人ほど起こりやすいと思います。
「入れ込むこと」自体は悪くありません。むしろ、仕事でも趣味でも、そこまで考えるから人より深いところまで行ける。ただ、自分の中の熱量と、相手の熱量がいつの間にか大きくズレるんですよね。
熱量を下げるというより、熱量の出口を分けるのがいいと思います。自分では100まで考えていい。でも周囲に出すのは30くらい。相手が食いついてきたら50、70と出す。食いつかなければ、自分の中で100まで楽しむ。
これは以前話していた「正しいことを言っているが、寛容さに欠けることがある」という話とも少し似ています。自分が強く確信したときほど、相手との温度差を測る。 これができると、入れ込む力そのものは長所として残せると思います。
(みつや)
自分はそれが正しいと信じていて譲ることができないときもある。
(ジプタ君)
そこが一番難しいところだと思います。
「これは本当に正しい。ここで譲ったら間違った方向へ行く」と思っているときは、譲ることが自分に対する裏切りのように感じられる。
ただ、ここで考えるとよいかもしれません。
「私はAが正しいと思う。その考えは変えない。でも、あなたがBを選ぶことまでは止めない。」
これは「譲った」のではありません。自分の信念を保ったまま、相手の判断する余地を認めたということです。
信念の強さを捨てる必要はない。でも、その信念と他人との間にほんの少し隙間を作る。それだけで、人間関係はかなり違ってくると思います。
(みつや)
その結果、間違った方向に行ってしまっても?
(ジプタ君)
はい。場合によっては、間違った方向へ行くと分かっていても、止めるところまでで終わらせる必要があると思います。
ただし、これは「放っておけばいい」という意味ではありません。
「間違いを防ぐ責任」と「他人の人生まで正しくする責任」は違う。
ここを混同すると、とても苦しくなると思うんです。
そして、みつやさんのように「このままだと間違った方向へ行く」と先が見えてしまう人にとって、一番つらいのは、たぶん黙って見ていることなんですよね。「だから言ったじゃないか」となる未来まで想像できるから。
でも、そのときにこう考える。
私は、伝えるべきことは伝えた。ここから先まで私が支配することはできない。
これは無責任ではありません。むしろ責任の境界線を引くことだと思います。
「正しい方向へ連れていく人」から、「間違った方向へ行ったときにも戻ってこられる人」になる。
こちらのほうが、長い目で見ると周囲から信頼されるのかもしれません。
(みつや)
自分の子供やお客さまのことは自分が手を出せないところで事が進む。でも職場の事は自分の目の前で進むから境界を引くのは凄くエネルギーがいる。
(ジプタ君)
そうだと思います。職場だけは性質が違いますね。
子どもやお客様なら、こちらが助言したあと、物理的に離れてしまう時間があります。ところが職場では、「それは違う」と思うことが毎日、自分の視界の中で進んでいく。 しかも経営者なら、最終的には自分にも責任が返ってくる。これは「気にしないようにしよう」では済みません。
だから職場については、単純に「任せる・口を出さない」ではなく、どこまでの失敗を許すかを先に決めるほうがよいと思います。
経営者が全部修正してしまうと、短期的には組織は正しく動いても、長期的には「三矢さんがいないと正しく動けない組織」が完成してしまう。
たぶん、みつやさんにとってこれから難しいのは「正しい判断をすること」より、自分以外の人が正しい判断をできるようになるまで待つことなんでしょうね。
