_私の母方の祖父が活動弁士という仕事をしていたということを前に書いたことがあるのですが、今その祖父が書いた直筆の自伝を読んでいます。自伝と言ってもたいそうなものではなく親族だけが持っているもので、それを借りて読んでいます。
_もともと祖父のことは福岡県の北九州で生まれ育ったことや活動弁士の仕事をしていたこと、実家が廻船問屋の仕事をしていたことぐらいしか知りません。私の記憶にあるのは優しいおじいちゃんだったというだけです。
_その時代では普通のことだったのでしょうが想像以上に厳しい生活だったようです。子どもの頃から親を手伝って働き、『働いても、働いても楽になれぬ』、『職業の選択なんて考えられない時代であった』などの記述があります。
_私が子どもの頃、祖父の家はJR黒崎駅に近い街の中にありました。祖父に北九州の海岸に連れて行ってもらって遊んだ記憶があるのですがそこが祖父の故郷であったとは知りませんでした。あの時、祖父はどんなことを思っていたのだろうかと…。
_祖父が生まれたのが1899年。
_1902年 北九州八幡製鉄所が操業開始、
_1904年 日露戦争始まる、1914年 第1次世界対戦始まる、1937年 日中戦争始まる、1941年 第2次世界対戦始まる、1944年には日本の本土で初となる空襲が北九州に、1945年8月の大空襲で祖父の家も職場も全焼(家族は無事)…。
考えてみると祖父の人生は子供の頃から大人になり親になっても戦争ばかりの時代ですね。
_これに比べたら私には自伝に残すほどのものはなさそうだと感じています。